マタイによる福音書 7章7-12節
高松教会 村上有子
愛する人に何かプレゼントする時、その人にとって一番良い物、喜んでくれそうな物を探します。私には価値あっても、その人にとっては無価値であったら、悲しい事です。今回与えられた聖書箇所の一つ前の節には、「豚に真珠」に似たことが記されています。日本語に使われている「豚に真珠」は、「(新約聖書マタイ福音書による)高い価値のあるものでもそれの分からない者には無価値に等しいことのたとえ(広辞苑抜粋)」とあります。本来の意味は、「『神聖なるもの』『真珠』は神の言葉、福音、キリストご自身を表し、『犬』『豚』は異邦人、偶像礼拝者、神に背を向けている者、また、キリスト者でありながら背教した者、不敬虔な信者、福音を聴きながら信じない者と言われています。神様は、その『神聖なもの』『真珠』をあなたがたに与えたいのです。その価値を知っているのですから、受け取ってほしいのです。愛する子に必要なものを与える父の様に、有害なものを子に与えないでしょう。ましてや、天の父は、私たち(神の子)に一番必要な大切なものを知っておられます。自分の愛する御独り子・イエス・キリストの命をもって私たちを贖い、愛している神様は、私たちを愛しているがゆえに、与えたいので、求めて欲しいのです。この懇願がこの箇所の背景にあるのではないでしょうか。ルカの並行箇所には求めるべきものは「聖霊」と明記されています。イエス様の十字架と復活を聖書を通して知る(理性を超えている事)ことができるのも、聖霊の御力、聖霊の助けによります。ですから、神様はイエス様と同等の位格としての聖霊をイエス様の昇天後、ペトロたちに与えています。その同じ「聖霊」を与えられていますが、私たちは、その聖霊のことを悲しませていることが多いのです。求めましょう。求め続けましょう。頂きましょう。