ルカによる福音書3章1-22節
高松教会 村上貴志
「あなたは貧しい。が、『非常に裕福な一人の親戚』がいる。それなのに、あなたは主の元へ行かないというのか。主はあなたに、主と共同相続人であるという約束を与え、すべての主の存在と所有物をあなたのものとして移す手続きを終えておられるのに。」 バプテストの説教家 CHスポルジョンの言葉です。 彼は、15歳の学生の時、イザヤ書45章22節から御言葉により、回心を致します。罪に対して無知であった自分に、この問いかけ=神の訪問は、サウロが受けたのと同じような効果をもたらせたというのです。主が、説教者を通して直接自分に語りかけて下さっていると感じ、その瞬間に、自分の全ての悩みが洗い流され、罪悪感が洗い流され、恐れすらも洗い流されたと感じました。イエス・キリストの愛に自分自身が今包まれていること、イエス・キリストご自身が自分と一つになり、内在して下さっている事を実感した。そして新しく生まれ変わった。
ヨハネの水の洗礼は、多くの人々を生まれ変わらせました。しかし、後に、「洗い流すのではなく、火によって精錬されるお方。私たちの内なる不純物さえ取り除かれる。そんな方が、来られる」と、告げるのです。
そして、「十字架での死。罪に死に、三日目に甦られた」火による洗礼を、全ての人に与えられた。
イエスさまは、甦られたのちに、弟子たちに姿を現され、「聖霊を受けなさい。」【ヨハネ20:21-23】と、告げられた。 この罪の赦し=火による洗礼は、ペンテコステの出来事に繋がっていくのです。
「主を仰ぎ見る事によって」
聖霊の導きが無ければ、この思いには、至りません。
「主を仰ぎ見させてください。…。見よ!」 今、私に働きかけ・聞こえる、聖霊の知らせに耳を傾けたいと思っております。