高松教会 村上貴志
ネヘミヤ記 13章23~31節
「背き」と決別する。ネヘミヤは、そう決意します。現実には、異教の神々に惹かれないように、異邦人の配偶者を迎える事を、嫁であれ婿であれ、禁止したのです。そんな事を、言われると、今の私たちを取り巻く環境では、とても難しい事です。
神さまに愛された偉大な王でさえ、全てのイスラエルの上に立たせていただいた素晴らしい王であったソロモンでさえ、異教徒に取り込まれてしまった。
それ以前に、クリスチャンの伴侶に出会うのは、 もっと難しい問題なのかもしれません。ノンクリスチャンとの結婚。これは、「背き」なのか?沈鬱な思いがします。「背き」背いたらどうなるのでしょう?
【マルコ18章1-9】婚姻による罪への誘惑の結果が、こうなのでしょうか?ネヘミヤは、これ程の覚悟を持って民に語ったのかも知れません。それ程までに異教からの誘惑は、強いと言う事かもしれません。では、逆に、私たちの信じる神さまを「まことの神」として伝えていく事は、困難なのでしょうか?
結婚は、神さまによって一つとされる、祝福です。最初、相手が、神さまを信じていなかったとしても。 「終わりの時に、共に、御国に招かれるように」その願いと祈りを持って、主の御救いを願い続ける。 「私自身の救いを語り続ける。」そうありたい。
イエスさまの、十字架は、誰のために?
全ての人のために。
(真の愛を受け、真の愛をもって、大切な人を思う事ができるようにされた)私が愛する人が、伴侶が家族が救われるように願えば、「この祈りが、聞かれないはずがない!」
今は、「この信仰に、背く事が無いように」と思うのです。神さまによって結ばれた家族故に、その救いを、自分自身の救いの様に願う事が、今の私たちに与えられた御旨であると信じます。