ネヘミヤ記 13章15~22節
高松教会 村上貴志
ネヘミヤは、又、怒っております。「安息日に、異邦人たちによって、エルサレムの城壁の内側で、盛大にマーケットが開かれている事」です。安息日のルールに縛られない異邦人に、何の不都合が?
どうして、安息日に必要なのか?「出エジプト」では、安息日の前日に、二日分マナの備えを。安息日には、仕事をしなくても良いように、既に、定められていたのです。「民は、神を信頼していない!」
この民数記の言葉を忘れてしまっているのか!「主はモーセに言われた。「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」【民数記11:23】神さまは、与えて下さる!願うならば!異国の民に、求めるな!
まずは、指導者や神さまの言葉を伝える祭司が、模範を示すべきだ。「日が暮れて、安息日になったならば、夜に、一週間の事を覚えて感謝の祈りを捧げ、夜が明ければ、冷たい食事を取り(これによって、豊かであっても昔の窮乏を思い出すのです)家族そろって、礼拝に向かう。そして、日が暮れて安息日が明ければ、温かい食事を感謝していただく。それが、神の民の安息日だ!」そう語るのです。この日に。神さまが、私たちのために、お働きになられた事を、感じるのです。誘惑に負けないように。
このエルサレムが、あの異邦の民のものとならないように、神さまに慈しみと憐れみを求めました。
それは、信徒の友9/30の聖書日課 マタイ21章33節以下の話しです。「ぶどう園と農夫」のたとえ。 「だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」(43節) そうならないように。
ネヘミヤは、「神さま、お見捨てにならないでください。信仰の民を、憐れみ、慈しみください。」
そう願ったのです。
神さまを、信じて。