高松教会 村上貴志
使徒言行録2章29-36節村
本日は、ペンテコステ。教会の生まれた日です。同じ信仰に導かれた人たちが一つ所に集まり一つの教会を形成しました。ただ、それは、自発的ではなく、一種の強制的でもありました。信じる人たちは、信仰によって辛い立場に置かれた。それも、非常に激しい迫害が、彼らを襲った。それ故に、一つ所に集まったのです。旧約聖書の歴史で言うと、「ノアの方舟」に乗せられたように、集められたのです。
しかし、様々な立場の人たちが、集められた。そのような様々な人が、一致する事ができたのでしょうか?これは、歴史で言うと「バベルの塔」。
一つで有るべき人たちが、一致できない状況。
そのような状況で、ペトロは、立ち上がり、声を挙げた。「私のために、あなたのために、十字架に架かって下さり、罪を贖って下さった出来事を知って欲しい。」と、叫んだのです。ヨエル書を引用し、救いを語ります。ルツ記を思い出させるような表現で、異邦人への救いを伝えます。詩編16を引用し伝える救い主イエスさまは、いつも神さまと御一緒で有り、罪の死から復活に至る道・命の道を、私に・そしてあなたに、与えて下さった事を伝えます。
どのような状況の人をも、主がお救いになられる事を、伝えます。罪の世界に沈んだもの、陰府に落とされて仕方ないと思われている人を迎える事。
主の十字架の御業を、判っていても。難しい事です。「真の一致を与えて下さい。」
この願いに至る事。それが、主からの約束の祈り。
私が我慢。いえ、主が忍耐なさった。この事を、私に知らせるために、思いを変えるために、特別な大きな想像も出来ないような聖霊の力が、私に働きかけ、そして、周りにも働きかけたのです。
そして、一つの祈りとなった。そこに、主の力が現れ、信じる一つの力が生まれてくるのです。