高松教会 村上有子
ルカによる福音書23章26~43節
今年のイースターは4月17日です。その前週が「受難週」となります。受難週なくして、イースターはありません。イエス様の十字架の死なくして、イースターの喜びはありません。昨今「イースター」という言葉は、知名度を上げてきました。コロナ禍にあっては、イースターパーティーなるもの、テーマパークでのイースターを取り上げたイベントも影を潜めていますが…。それでもこの時期、イースターの意味を伝える、すなわち、福音を伝える絶好の機会です。重い内容ですが、主が私たちを用いてくださることを祈ります。
一節一節にメッセージがある、本日の箇所ですが、今回は、28節に思いが留まりました。「わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」と主は言われます。ここから、なぜ、イエス様が十字架刑に処されなければならなかったのか、考え、確認したいのです。両隣の犯罪人でさえ、イエス様が何も悪い事をしていないことを知っています。しかし、なぜ何もしていないイエス様がおぞましい刑、見世物になるような呪われた者として木にかけられ、死ななければならなかったのか。それは、「私の罪」のため、「あなたの罪」のため、「すべての人の罪」のためなのです。泣くべきは、「かわいそうなイエス様…のためではないのです。自分の罪に気付くべきなのです。
この事実を分かりやすく、表現した曲を作ったバッハの「人よ 罪に泣け」(BWV622O Mensch, bewein dein Sunde grob)を通して、私は自分の罪の重さを知りました。是非、この受難週に、マタイ受難曲など、機会がありましたらお聴きくださり、自らの罪の重さ、十字架の意味を確認し、復活の主とお会いし、罪赦された者として、主を喜び、主を褒めたたえ、イースター礼拝を捧げましょう。