この数週間。世界は、争いの時を迎えております。多くの人が巻き込まれております。一日も早い平和的な解決を望みます。
さて、ネヘミヤが、エルサレムに城壁を再建しようとした時にも、国内で争いが起こりました。ですが、この城壁の再建は、エルサレムの人々にとって必要な事でした。原文では、「城壁の治療が進んだ」
物理的な守りだけでなく、人々の心を癒やす。傷ついた心の治療ともなったのです。
しかし、怒りを持つ者の思いは、いつも、相手の事などお構いなしです。そして、それを受ける側も。
手に武器を持って「No! War!」イスラエルの平和のために、城壁を修理しているのに、本末転倒。
どうやっての平和なのか? そう、「聖所で、神さまに祈り、願う事によっての平和」その聖所を守るための、城壁。神さまに祈るために、行っている。
身を守る事と作業を進める事。相反する行動です。
ネヘミヤたちは、神さまに願いました。「神さまが、戦ってほしい」圧倒的な力で、敵を、…。
復讐では無いのです。それを願うのではありません。
神さまは、レビ 19:18 「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」と、教えられている。敵対者を打ち倒すことよりも、神さまの守護を願う方が、ネヘミヤたちの作業には、相応しい事であったのです。
愛する人たちのために、主を信じて。 びくびくするのは、終わりにしよう。いざという時には、神さまが、働いて下さる。共に戦ってくださる。
エジプトから帰ってきた時のように、全ての神の民・信仰者の力が、結集される。神の名によって、角笛が、吹き鳴らされる時。一つ思いの平和が与えられるはずなのです。
今、その平和を願っています。