高松教会 村上有子
マタイによる福音書5章38~41節
「目には目を、歯には歯を」は、復讐を言い表す言葉として世に知られているかもしれません。しかし、これは、同態復讐法といって、「相手にやられた事と同じ事まで」という上限設定をしている法であり、やられた以上にやり返したくなる人間の心をセーブしている法です。イエス様は、この言葉に対して、またもや「しかし、わたしは言っておく」と私たちに語ります。「悪人に手向かってはならない。」という言葉は、「復讐してはならない、それ以上に、抵抗してはならない、ひどい仕打ちでも甘んじて受けよ」ということです。しかし、そのようにこの世を渡り歩いていっては、危険過ぎると私は思いました。「しかし…」なのです。続けて、「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けなさい」「下着を取るよう訴えられたら上着まで」「1ミリオン行けと強制されたらその倍行け」とイエス様は命じます。イエス様はこの命令を通して、私たちの自己中心的な罪を指摘しておられます。そして、本当にわたしを信じるなら、このように生きることになるということを語っておられるのです。自分の権利・所有物への固執、自己利益の追求、自己擁護、自己中心的な生活から、わたしのために生きるようにと、語っておられます。しかし、この世からは、「自分の権利のために戦え、自分の生活のために訴えよ」という大きな声が聞こえてきます。そうです。生まれたままの人間、すなわち、イエス様にあって生まれ変わっていない人間には、この命令を生きることは不可能です。この命令はクリスチャンに語られているからです。イエス様を信じる者は、自分ではなく、キリストに生きているはずです。自分を誇り、自己擁護に必死になる生き方から解放されているはずです。自己中心の罪に気付いたら、十字架の影に急ぎましょう。
主はずっと待っておられます。