ネヘミヤ記 1章1~11節
高松教会 村上貴志
ネヘミヤ記は、エルサレム城壁の再建について語ります。ネヘミヤは、ペルシャのスサでアルタクセルクス王に、献酌官として仕えておりました。(お毒見役⇒信頼される仕事⇒相談役)同じ時期。イスラエル・ユダには、二つの大きな集団が帰還し、神の民としての生活を取り戻しておりました。ただ、独立国ではなく、ペルシャの一つの州として数えられておりました。民族としては、自治が赦されてはいなかったのです。神殿は、建設されても、城壁の再建は行われていませんでした。それは、「略奪の被害に遭い放題」という事です。力無い者は、守る手段を持たない者は、財産・食料・家畜・奴隷。そして、家族である女性たちも奪われ放題という事でした。
原因は、明らかでありました。イスラエルの神さまに対する不信仰・不従順。罪の世界に陥った民は、どんどん神さまから離れてしまう。その結果が、国が滅びる。捕囚。そこで、やっと、神さまを思い出す。落ちる所まで、落ちた時、思い出す。ルカ15章「放蕩息子」弟の歩みを思い出してみて下さい。
彼は、最後の最後に、それは、落ちる所まで落ちた時に、父の事を思い出した。悔い改めた。その様な状況になるまで、気が付かない。罪に誘われるという事は、そういう事であります。
しかし、その様な中、新しく起こされる者。神の民として生まれてくる者の中には、不信仰に沈まず、神さまを信頼し続ける神さまが造って下さった姿のままがあった。「神さまの愛のうちに、再度、置いて下さい。」ネヘミヤは、悔い改めの祈りを捧げます。
祈った者は、献酌官。(恐らく宦官)イスラエルにおいて、不名誉な状態。蔑まれる存在。村八分。
ネヘミヤは、その虐げる人のために、嘆き、祈った。「 敵を愛し、…」【マタイ5:44】このイエスさまのお言葉を、思い出すのです。