高松教会 村上貴志
ルカによる福音書 17章11~19節
アドベント。二本目の蝋燭は、「御使い、平和」。
さて、この「平和」とは?心の平安?私たちは、見下す者を造って、心を抑えていないでしょうか?
しかし、それが本当の心の魂の平安に繋がっているかというと、そうでは無い。一時の安らぎかもしれない。後味が悪く、真の平安とは思えません。
本当の平和・平安とは、相手を受け止め・受け入れ、共に歩む事。
どうやって? 同じ思いになる事。 いえ、元々同じであります。何も違わない。神の民。
異なる信仰と思われたサマリアの人たちも。同じ神さまがお造りになられたのです。等しい姿として。
彼らも救われる民でありました。
では、異なる姿で有れば? 重い皮膚病を患っている人たちは?皮膚(顔面や手指等)の変形。異形。
人々は、近づかない。律法での定めでも有り。
この病の人たちは、イエスさまに声を掛けるのも一大決心でした。勇気が必要。今までは、希望を見出すことができなかったから。諦めていた。しかし、最後の希望は、イエスさまにしかなかった。
イエスさまは、応えられた。手を置いて癒されたわけでも無く、彼らの患部を洗うことも無かった。恐らく声を掛けられただけ。宣言されただけ。
でも、彼らは、そのお言葉を信じた。「神さまからの恵みはいただけない」と言われていたサマリア人であったのに。彼らは、信じた。そして、癒された。
しかし、それ程までに信じた人であっても、十人の内の一人しかイエスさまの元には、戻ってこなかった。 それでも、イエスさまは、働かれた。人の有り様を、御存知でありながら。
一度は、心から願い信じた者が、裏切る。
このような人たちのために、イエスさまは、十字架に架かって下さったのです。