高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 1章19~27節
私の部屋のドアには、このような張り紙をしております。「気短に怒るな。怒りは愚者の胸に宿るもの。」(コヘレトの言葉7:9)日常の戒めです。
他者の言い分を聞かず、自分の(誤解した)思いだけを、咆え猛っていまわないように。ヤコブの手紙では、「それは、いけない」と、教えております。なぜならば、それは、「神の義を実現しないからだ」と、いうのです。「愛を捨てている」から。その愛は、「主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします。」(詩85:13)神さまから頂いたもの。神さまから出ているもの。人の怒りは、神さまからの愛を捨てる事に繋がるのです。
神さまは、愚かで怒るに早い私たちにも、良いものを与えて下さっている。その頂いた良いものを、周りの人たちと分かち合う事が、主の僕の喜びではないのか?「分かち合おうではないか? 主の御言葉を!」一刻も早く、そうすべきであります。
この地上での争い。「神が裁きを曲げられるだろうか。全能者が正義を曲げられるだろうか。」(ヨブ8:3) 私の怒りも、ここに思いを向けないといけません。 私に対しての、神さまの、怒り。非常に、遅い。「待って下さっている」いえ、待っていただいているからこそ、今の自分が、ここにあるのです。
その為に、その独り子をお遣わしになり、十字架の贖いによって、私たちをその前に、相応しい者として下さった。既に、変えられている。御言葉を行う事の出来る人に。 赦しと救いに満たされている。
昔の罪の姿に戻ろうとしてしてはいけない。自由をもたらす完全な律法を、思い出し。行える人に。
【マタイ18章】赦しと贖い。共にいてくださるイエスさまを、思い出します。「舌を制する」事は、困難なことです。まずは、【27節】神さまから頂いた愛を実践してみる事にしましょう。