高松教会 村上貴志 創世記24章26~32節 【27節】これは、信仰者の祈りであります。求める祈りであります。これは、【12章1節】で、神さまが約束して下さった事を信じる祈りでした。神さまが、御使いを通して示して下さるように信じました。 求める祈り。「子孫に受け継がれていく」ように。「神さまの約束が、続くために」願うのです。 それを、私たちは、求めているでしょうか?「行け!」という声に従っているのでしょうか? この声は、神さまに目を向けている人しか聞く事ができません。だから、「神さまの前に!礼拝する!」のです。困難があっても、…。 困難が、終わりのしるしには、ならないのです。 「困難でも」神さまが、共にいてくださる事によって、万事を益として下さるのです。【口語訳ローマ 8:28・第一テモテ 4:8】 たどり着いた所に、招きが有りました。【31節】 ラバンは、「主に祝福されたお方」と呼びかけます。 主が共におられる人は、必ず、恵みと栄光の中に入れられるのです。そして、その恵みに与るのは、…。一人では有りません。共にいる人たちにも。 主の恵みは、全ての人に。(ラクダにさえも) 神さまの恵みは、広がるのです。出会った一人の周りにいる人たちにも、後ろにいる人たちにも。 神さまの恵みは、準備されているのです。 「この喜び」を、大切にしたいと思います。 招かれた時。私一人ではなく、私が大切に思っている人たちも、そこに招かれているのです。招く時。その方の後ろにおられる人全てをも迎えるのです。神さまは、この大きな恵みの広がりのために、イエスさまを私たちに与えてくださり、神さまとの間を繋いでくださったのです。「クリスマス おめでとう」この挨拶が交わされる所には、神さまのイエスさまの招きが、満ち溢れているのです。
2020
22Nov