高松教会 村上有子 マタイによる福音書 2章11~10節 星を見上げて、何を思いますか?星から神さまのメッセージを頂こうと星の研究に専念していた人たちがいました。「東の方」とありますが、徒歩、またはラクダでしょうか、ヘロデ王のいるエルサレムから2年はかかるような遠い所です。彼らは神さまから「ユダヤ人の王」が生まれるということを、星を通して知ったのです。彼らにとっても大切な方がお生まれになった。拝まずにはいられない。彼らはその方に礼拝をささげに、旧約聖書の預言も頼りにしつつ、出かけていくのです。簡単な旅路ではなかったと思います。しかし、学者たちは旅立ったのです。ついに、イスラエルに到着。中心地であったエルサレムに行けば、詳細なことが分かるであろうと、ヘロデ王を尋ねていきました。しかし、ヘロデ王は知らず、その上、「私も拝むから詳しく調べて報告に来てくれ」と頼まれます。ヘロデ王の元にいる学者たちを通してベツレヘムという町であることは分かった(旧約聖書の預言書・ミカ書5:2)のですが、遠い旅をしてきた学者たちにとっては、がっかりした返答だったかもしれません。しかし、神さまは教えて下さいました。東方で見た星を通して。その星は、イエスさまが生まれた時に現れた星であり、彼らを導いて「ユダヤ人の王」のいる場所の上で止まりました。彼らは、その星を見て、自分たちが求めていた方、拝むべき方を礼拝できる喜びに満ち満ちたのです。彼らは、「ユダヤ人の王」すなわち「全て人の王」「王の王」である方を礼拝しに、2年の年月を掛けて、旅してきました。ただ拝むためだけに。私たちの礼拝も同じです。今、私たちは、イエスさまを拝むことが出来る幸いをしっかりと噛み締めましょう。「礼拝をささげることができる」このことは、当たり前ではありませんから。
2020
25Oct