高松教会 村 上 貴 志 箴言16章1~33節 【敬老会礼拝】 旧約聖書の文学には、「神さまに従う人は、長生きだ」という考え方があります。正しい生き方をしていれば、神さまと共にあり、神さまの恵みの中にあると言う事です。 ただ、コヘレトの言葉には、【7:5・8:14・9:2】こんな言葉も記されております。 それは、「努力したから、成功するのではない。しかし、成功者は、必ず努力している。」こんな格言と同じような事かもしれません。「わたしの歩みは、どっちだろう?」そう思うのですが、【33節】に記されているように、私の歩みのふさわしさは、神さまが定められるものなのです。ただ、ここで語られている事は、「長寿の方は、神さまの目に留まっている人だ」ということです。インターリニアーという聖書注解には、【31節】を「賢者の老齢は特に価値あるとされる。白髪は栄光の冠であり、義しく歩んできた人生の結果である。」と解説します。 そして、箴言では、その人たちが、どのように生きて栄光の冠を与えられたかが記されております。【3節】委ねる事が、大切であります。一つひとつの行動が、主と共にあること。「神さまありがとうございます。」感謝の思いで、歩みを進めるならば、足らない所があったとしても、(いえ、必ずあるものです)喜びに導かれるのです。【6節】神さまに対する忠実さを、周りの人にも向けるなら。家族や共に歩む人に、ひたむきさを持つということは、自らの歩みを省み、悔い改めの思いを抱く事に繋がるのです。 主の十字架の前に。神さまの前に。他者の前で。 へりくだりの思いを持って歩んでこられたかたには、平和が与えられるのです。その結果。【21節】神さまの思いと共に、周りの人々を見つめた方の思いは、多くの良き感化を与えるのです。神さまと共に長く歩む中で、蓄えて来られた方の歩みは、「王冠をいただく(頂く・戴く)に値する」のです。
2020
06Sep