使徒言行録 26:1-11 高松教会 村上貴志 今までとは、異なる生活様式。先の見えない時代です。アグリッパ時代のユダヤもそうでありました。 ローマの支配下。行き詰った状況です。「どこで、かじ取りを間違ったのであろう?沈まないために、どちらに進んだら良いのだろう?」イスラエルの歩みの正面には、ローマと言う大きな高い壁!「左?反体制?」失敗。「右?体制派?」細々と、我慢しながら生きて行く。ただ一つの選択肢として思えました。 しかし、そのような歩みをパウロは、否定します。「もう一つの道を教えよう!」周りの人たちには、パウロの歩む先の道が見えませんでした。(前に、大きな壁があるのですから。)「まっすぐは、行けない。昔、神さまが教えて下さったような道は、閉ざされた。もう、ローマに・世に、迎合して生きて行くしか無い。イスラエルは、哀れな歩みを送るしかない。選択肢は、無い。」と、思っているのです。 パウロは、その様に思う同胞に。同じ神さまを信じている人たちに、語りかけるのです。 「なぜ、幾度も与えられた、神さまの憐れみが失われたと思っているのか?そうではない!既に与えられている。預言書で約束の通りに。パウロが語っているイエスさまこそが、信じる者全てをお救いになられる、メシア・キリスト・救い主なのです!」 パウロは「期待している。神さまの約束の実現に!」そう語るのです。「まっすぐな信仰の道がある!目の前の壁を打ち壊して進まれる方(イエスさま)が、おられる。希望が失われたわけではない。」 そのお方に出会えば変わる!今まで、反対していても、受け入れていなかっても、知らなかっても。 その人たちのためにも、主は十字架に架かられ、罪を負われ代わりに陰府に降られ、甦られ、新しい命・永遠の命を、与えてくださった。神さまの思いは、人の思いでは・行動では、変わらないのです。
2020
12Jul