使徒言行録 25:13-27 高松教会 村上貴志 高松教会は、7月7日が創立記念日で、今年で113周年を迎えます。明治18年頃、日本組合教会今治教会の横井牧師が、伝道開始されてからは、135年。 では、135年前にこの高松の地に伝えられた事とは? それは、「死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きている」(19節)と、言う事を。「私たちの罪の為、十字架に架かられたイエスさまの事」が、語られたのだと思うのです。 これを聞いた高松の人たちは、最初は、「彼ら自身の宗教に関すること」と受け取った事でしょう。そして、語られた言葉を聞いて、多くの人が驚いた。 「誰のために?立派な人たちのために?」 しかし、語られた言葉は、異なるものでした。パウロが、ローマ人たちに伝えたように。聖書の神さまを知らない人たちに。そして、もう一人。ユダヤ王アグリッパ。傀儡の王。父も祖父も、ユダヤ王家の者で有りながら、ユダヤの掟に従わず、相応しくない歩みを送っておりました。罪深い一族の者に。 しかし、アグリッパには幸運が訪れていました。「この恵みと祝福は、神さまからのものなのだろうか?」 王は、神さまの御旨が知りたかった。 (神さまの前では、相応しく無い者であっても。) パウロは、この罪深き悩める者のために、この場所にやって来た。そして、伝えた。この罪深き悩める者のために、キリストは、十字架に架かられた。 「イエスはお答えになった。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』」(ルカ5:31)神さまの前に相応しくない人が、神さまの前に相応しくされるために。キリストは、…。 135年間。高松の地で語られたこと。まだ、知らない人の為に・相応しくない人の為の十字架の御業。
2020
05Jul