使徒言行録 22章6-16節 高松教会 村上貴志 パウロと呼ばれる前のサウロ。彼は、大祭司たちの許可をもらいダマスコでイエスさまを信じている人たちを、異端裁判にかけようと出かけていました。 「裁判」といっても結果は決っているのです。「死刑」 神の民イスラエルの信じる神さまは、「エジプトから導き出され、十戒を与えて下さった神さまだけ」だとサウロたちは、思っていました。「父なる神」以外は、有り得なかったのです。故に、「救い主=子なるキリスト=イエスさまの事を、信じる」という事は、誤った信仰であると思っていたのです。 でも、…。もしかしたら、ほんの少しは、心の中に、迷いが有ったのかも知れません。「殺すなかれ」十戒で、神さまは、教えて下さいました。そのような恐れの気持を持っていたのかも知れません。 「過ちなのだろうか?」その時が、やって来ました。突然、光が奪われたのです。 「大きな正義のために、不義を行う」しては、ダメだったのです。大きな正義のために、働かれるのは、神さまであります。裁くのも、神さま。 そして、裁きを受けているのは、…。わたし?! 「因果応報なのか?神さまから離れたのは、私?」 「主よ!」神さまのためにと思って過ちを犯していたサウロは、神さまに立ち返ったのです。 「主よ」私に真理を明かして下さい。過ちを、明らかにして下さい。「主よ、あなたはどなたですか?」 「主よ」この言葉が、サウロの信仰の告白でした。 自分が、迫害してきた者が、自分の目の前に現れ、自分を導かれようとしておられる。神さまから離れた自分を、神さまへと結び付けて下さるお方が、目の前におられる。「敵を愛する。救い主の姿」が、ここにある。後は、「信じるかどうか」です。 サウロは、「どうしたら良いでしょうか?」つまり、「あなたに、従います。」と、応えるのです。
2020
26Apr