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使徒言行録 21章17-26節
高松教会 村上貴志
使徒言行録は、パウロたちの行動の記録を通して、繰り返しでてくる「神の愛の大切さ」を、伝えます。「キリストの思い・十字架の御業」に与った弟子たちの素晴らしい姿を、伝えるのです。まず、「パウロが、エルサレムに着いた」と、記します。驚きです。霊に動かされた弟子たちに「危険なエルサレムに行かないように」願われていたからです。ですが、そこに行かなくてはならなかったのです。教会が地上で生きるために。教会は、御言葉による心の糧はいただいておりましたが、口からとる体の糧は、欠乏しておりました。古い信仰の人たちが、イエスさまを信じる人に対して、日常の交わりを持たないように求めたからです。教会は、社会から村八分とされたのです。働き口が無い・お金が無い・食べる物が無い。イエスさまを信じる兄弟姉妹たちが、窮乏していたのです。パウロの危険よりも、教会はもっと危険であった」 どうするべきか?
パウロが、従ったイエスさまなら「どうされたであろうか?」思うのです。イエスさまは、「剣を持って捕えに来る人たちに対し、どうされたであろうか?」【マタイ26:52-53】懲らしめる事は、できるのです。主の御業に従事される人は、神さまに願って。しかし、懲らしめではなく、「従順を、愛を!」
キリストは、そう行動されました。その後、憎む者のために、「十字架に架かられた」のです。
パウロは、教会を迫害する人たちの為にも、エルサレムに行かなくてはならなかったのです。神さまの教えに与りながらも、キリストを信じていない人たちのために。その人たちに、神さまの新しい約束を伝えて行かなくてはならなかったのです。 パウロは、「神さまの愛・キリストの愛を実践した姿」に倣って、行動したのです。私たちも、「敵を愛し、迫害する者のために祈りたい」と思うのです。