創世記 37章5~20節
三谷 保 牧師
ヨセフの110歳の波乱の生涯は「聞いて下さい。
こんな夢を見ました。」という言葉から始まる。
この言葉は聖書を読む多くの人々には色々の影響を及ぼしてまいりました。
黒澤明の映画『夢』は「こんな夢を見た」という言葉で幾つかの夢物語が成っている。
夏目漱石の『夢十夜』もこんな夢を見たという言葉で10の露目が語られている。
ヨセフの見た夢は、私の麦束が急に立ち上がると兄たちの束がまわりに集まりひれ伏したという内容でした。
これは四人の母を持つ12人の異母兄弟の間に激しい憤りや怒りや憎しみの根源となります。
そんな中、父ヤコブはヨセフに羊を飼って旅に出た兄たちの消息をたずねるよう命じます。
シケム辺りでいると言われた場所に兄たちはいない。
旅の経験の乏しいヨセフは忽ち荒野をさ迷う。その時ヨセフは一人の人に声をかけられる。
「何を探しているのか」
ヨセフは「兄たちをさがしています」
この会話は非常に印象的で重要なものであります。
これはヨセフの生涯のテーマであり創世記の否聖書全体のテーマであります。
私たちは一体何を探して人生の旅をしているのでしょうか。
人間のもつ力が、物質のもつ力でしょうか。
神と人間との真実な出合いの喜び、豊かでしょうか。
しかし兄弟が兄弟として真に出合うことは何と困難な業でしょうか。
兄たちはヨセフが来るのを見ると相談し穴に投げ込む。
温かい手をさしのべる者に鋭いキリで刺すのであります。
神が人間を愛し救うために独り子を遣わされた。
しかし人間はこれを十字架につけ刺し殺すのであります。
神はどんなに至難の業であっても人間を愛しゆるし探し求めるのであります。
今日。
世界はこの神のみ心に逆行しているかに見えます。
でも教会は兄弟が真に兄弟となるために捜し求めるキリストの血で贖われた群れであります。