使徒言行録 13章13-25節
高松教会 村上貴志
8/31(土)の午前中、みくに文庫が開かれました。
いつも。お誘いして下さる方の事情で、「もしかしたら、誰も来ないかもしれない」そんなことを思っていたのですが、…。
近所の一人のこどもが、おばあちゃんと来てくれました。
参加できた先生たちは、はりきって、読み聞かせの会を始めました。
こどものリクエストを聞きながら、何冊かの本や紙芝居をしました。
「そして、次は?」 この本を、選びました。
「イエスさまのおたんじょう」
驚き! 戸惑い? 喜び!?
一瞬どうしたら良いかが判らない雰囲気になりました。
先生が、「このお話は、ちょっと長いよ?」 そう言ったのですが、少年は、「これ」…。
表紙には、動物たちに囲まれた、まぶねの中のイエスさまが、描かれておりました。(動物に興味を示したのかも知れませんが)
「この本を! この本が!」
うれしさと 戸惑いと 混乱の渦巻く時。
教会の大人たちが、あたふたとしている状況をしり目に、…。
少年は、「このお話をするために、この会をしているのでしょ!神さまの唯一の救いの御業、イエスさまのお誕生。
そのことを、全ての神さまが造られた人々が喜ぶために、伝わるために、…。この会をしているのでしょ!」と、言わんばかりに、この本を指し示しました。
そうでありました。
先生は、喜びながら、語り始めて下さったのです。
①受胎告知・洗礼者ヨセフの母エリサベトとの会話。
②ヘロデの人口調査で、生まれた土地へ移動するマリアとヨセフ。
③そして、ベツレヘムについて馬小屋でお生まれになったイエスさま。
④そのお祝いに来たのは、…。ちょっと粗暴な(神さまから離れた)羊飼いたち。
⑤夜を照らす光。それを表すような、大勢の天使の祝福。
「このようにして、マリアは すばらしいあかちゃんを うみました。
このかたの おかげで すべてのものが よろこびで いっぱいになりました」
絵本は、こう締めくくっています。
思いがけない出来事。(でも、これが、本来の使命です)
神さまは、わたしたちの思いを越えて、この喜びを与えて下さいました。
「救い主をお伝えする。」この願いが叶えられたのです。
使徒言行録では、パウロの願いが語られています。
パウロの願いも、「全ての人に、救い主をお伝えする」と言う事でした。
「異邦人」にも、伝える事でした。
パウロにとって、「神さまを畏れる人」悔い改めて回心し、キリストを信じる可能性のある人が、そこに、居るのならば、自分一人でも、語り続けるのです。
パウロは、安息日に、神さまの事を知る人たちが集まる、ユダヤ教の神殿の会堂で、福音を宣べ伝えたのです。
もちろん、パウロの語る事は、…。
主の十字架の御業です。
エルサレムを離れても尚、信仰の灯を持ち続ける信仰者たちに届くように。
それが、同じ信仰・同じ神さまからの出来事である事を伝えたかったのです。
「自分の思いと皆さんの思いが、同じであるか聞いてくれ」その思いを持って、イスラエルの歴史について語り始めます。
神さまの出来事を語り始めます。
イスラエルは、目には見えない神さまがいつも共にいてくださいました。
しかし、民は、「隣りの国のような、目に見える強い王が欲しい」と、叫びました。
神さまは、預言者サムエルを通して、イスラエルと対話して下さいます。
「王を願う事は、…」神さま以外の人を、上に立てようとすることは、…。
これは、「反逆!神に対する反逆です。」
でも、神さまは、愛する人々の我儘としてその思いを受け入れて下さいました。
サウル・ダビデ。目に見える強い力と指導力を持つ王を与えて下さったのです。
パウロは、共有できる話題・歴史を話し、同じ信仰である事を証明したのです。
そして、つい最近起こった大切な事を伝えます。
洗礼者ヨハネによる、神の国運動。「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ 3:2)預言者イザヤの言葉の引用です。沢山の人が信じました。
そのヨハネさえが、「自分は、神さまが送って下さる真の救い主の足元にも及ばない。靴の紐・お世話させていただく価値も無い者」と、へりくだる方についてパウロは、語り始めたのです。
この方こそが、…。
少年が、指し示したお方でありました。ダビデより、ヨハネより。
その働きが足元にも及ばない位の栄光。神さまの前での人々の姿を明らかにされるお方。
神さまの愛である事を、教えられ実践されたお方。
そして、自らの命を持って、神の民を神さまの元に取り戻して下さったお方なのです。