使徒言行録 12章1-25節
高松教会 村上貴志
ヘロデ王。娘の踊りの褒美として、洗礼者ヨハネの首をはねた王です。
自分自身が、民に馬鹿にされていると思い込み、激しい迫害を行いました。
使徒の一人のヤコブを殺害します。
それを、一部の人たちは、喜んだ。過ちであるのに、良い事だと思った。
そして、次にペトロを付け狙った。
罪の世界の出来事です。
ヘロデ王も私たちも、…。
神さまからの祝福を得ない者は、身体の自由も・心の平安も持ち合わせていない。
罪の世界の囚われ人であります。
祈ってもらうしかないのです。
周りも、祈りを合わすしかないのです。
では、祈ってもらえば、解決するのか?
どのくらいの人に、祈ってもらえば、…。
50人でしょうか?5人足らないかもしれません。
アブラハムの時とは異なり、45人では無く55人です。
もっと!100人でしょうか?
個人や家族の祈りでは、足りません。
教会の祈りによらなければ、…。
確かに、自分の罪深さを省みると「そのくらいの人に祈ってもらわなければ」と思うのです。
その教会の祈りは、必ず聞かれ、地上に与えられるのです。
ペトロが解き放たれたように。
私たちを捕らえている罪の世界の門は、解放されるのです。
閉ざされた門が開かれる。
古い掟は終り、新しい約束・救いの御業に与った事を感じるのです。
そして、それを知った者は、行動する。伝えるために。
しかし、誤った道も有る。
ヘロデ王は、地上の罪の歩みを送り続けます。
周りの称賛を感じながら。
周りは、困りたくないから持ち上げます。
「ヘロデ王こそ、神のようだ」
その言葉を、受け入れてしまう。
神さまから、離れた王。
ヨセフスの古代誌【17:169】の記録。
【ヨハネ黙示録21:8】を思い出します。
12章には、伝える者と、離れる者の姿が記されております。
聖書は結論を語ります。「神の言葉は、ますます栄え、広がって行った」(24節)