使徒言行録 5章17-32節
高松教会 村上貴志
「トリアージ」災害時等で、限られた人材・設備の中での、治療の優先順位を付ける事です。
極端な言い方をすると、「助かる見込みの人から」です。
では、全ての人が助かる状況でのトリアージは、どうなのでしょうか?
神さまの恩寵。救いの御業。
イエスさまの十字架の御業に与る人たちの事です。
全ての人が、等しく、祝福を失う災いに有ります。
神さまに対して、「熱心な人・普通な人・不信仰な人・不適格な人・求めても知らない人」様々です。
イエスさまの救いの御業は、広げられた。
しかし、その門・入口は、狭かったのかも知れません。
一度にではなく、その順番に、トリアージが必要でした。
この事は、マタイ20章などの【「ぶどう園の労働者」のたとえ】などに記されております。
神さまは、熱心に最初にやって来た人を一番最後にします。
「ほんの少しの働き・一番最後に集った人」を先にしました。
そして、報酬は、同じとしたのです。
神さまは、どのような状況の人にも、「同じように」導きと恵み平安を与えてあげたかったのです。
神さまのトリアージは、マタイ9:12 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」でした。
ずっと神さまを信じて従った人は、夜中にまで不満を引きずりました。
妬みました。
同じ夜中に、世の出来事と対比するように神の出来事が起こります。
使徒たちは、伝えるために、解放される。「
命の言葉」を伝えます。墓より出られた主のように。
主を忘れる人は、【マタイ13:15・ 15:8】
しかし、そんな彼らに知ってもらいたい。
「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」
ソクラテスの有名な言葉の引用と言われています。
「みんな知っているだろう!」判って欲しい!
神さまは。あなたたちのためにも、イエスさまを十字架にかけられ、甦らされて、救われたのだから。