使徒言行録 2章14-47節
高松教会 村上貴志
ヨエル書の3章。「終わりの時」神の救いの出来事が、完成に向かっているのです。
今、進んでいるという事では有りません。全ての段取りが、終わったという事です。
イエスさまが、「死」に向かい行く者の「命」を贖って(取り戻して)下さったのです。
「全ての人」ルツ記を経ての異邦人の救いが、ここにも約束されていたのです。
信仰の民に呼びかけます。「耳を傾けて欲しい」イエスさまによって、神さまの御計画が現された事を語り続けます。
「死の苦しみから解放して、復活させました」罪の死から復活に至る命を示して下さったのです。
ダビデが語ったと言われる、詩編16編8-11節(70人訳)神さまが、示して下さる希望の姿が、「イエスさまを通して与えられる事」を伝えたのです。
詩編109編(70人訳)を通して、語られている事。古い時代における、最も悪いところがさらけ出されている。読むだけで、ぞっとするような言葉が、羅列されております。
神に逆らう者たち。
彼らの前に出されると「助けて下さい(26節)」としか、言いようのない事が、記されている。
それを見て、憤りを持つ私たちですが、その怒りは、神さまの怒りであります。神さまから離れた人の姿、なんと酷い姿であったか。
神さまが、私たちをそう見ておられるのです。それを、覚えるならば、ペトロが引用したこの箇所は、「悔い改めを求める」言葉です。
新しい命に、キリストの甦りの永遠の命に与るために、「古い私たちの命」は、詩編109のように、地上から断たれたのであります。
そして、御手の計らいによって、助けられたのです。
助けられるとは、それを、知る事であります。
救いの出来事が、私を神さまから離す罪の世界から救うために、神の御子が、その命を持って、贖って下さった事を、深く知る事なのです。