使徒言行録 1章12-26節
高松教会 村上貴志
イエスさまは、苦難の後、甦られて弟子たちの元に現れ40日の間、神の国について話されました。弟子たちは、エルサレムに留まって、神さまが命じられる事を待つのであります。 残された11人の弟子たちは、イエスさまと共に有った人たちと共に祈りを捧げます。そして、離散した人たちが、次々に集まって来て120人にも増えていきました。沢山の人たちが養われなければなりません。この役割。イスカリオテのユダが担っておりました。新たにその役割を担う人を定めなくてはなりませんでした。もちろん、その人は、イエスさまが救い主としての姿を現された出来事の証人の一人から選ばれるべきでした。40日の間に、イエスさまから神の国について、教えていただいた人から選ばれるべきでした。
そこで、二人の弟子が、候補に挙がりました。一人は、バルサバ。「安息日の子」という名前でした。彼の、ラテン語名は、ユスト。そして、もう一人は、マッティア。(YHWHの子)という名の青年でした。
二人とも、その名の通り、主の喜びの中にあった人物で有ったのでしょう。どちらかを選ぶときに。
ペトロは、祈りをもって選びました。神さまに御委ねしたのです。(ユダの裏切りには触れません)
神さまに御委ねする時、誰かを批判したり、代わりに(選びが失敗であった)とは、語らないのです。
「全て、神さまの御計画の通りになされたように、これからも、御計画をお示しください」そう願って、選ぶのです。選び方は、「籤(くじ)」であります。
祭司の胸の中に有る籤。ウリムとトンミム。
神さまの思いを現す大事な手段です。しかし、それを信じる事が出来るのか?「神さまの思い」だと見られるのか? それが、問われているのです。
選ばれ伝えられる事。信仰をもって踏み出す事を、神さまは求められているのです。