ヘブライ人への手紙4章1~13節
高松教会 村上貴志
「今、民は、神の声聞いているのだろうか?」
この手紙は、教会に集う兄弟姉妹に問いかけます。
心は、落ち着いているのだろうか?魂に平安が、与えられているのであろうか?
確かに、日常の生活の中では、それらがかき乱されるような事が少なからずあります。
それは、不信仰のせいなのでしょうか?
そうでは、有りません。
「神さまの安息に与る約束」
この「安息」は、地上の安息を指しているのではないのです。
ロマ書5:1~5「希望」イエスさまの十字架の贖いの業を信じる人は、常に救いの中に有り、神の愛の中に入れられているのです。
イエスさまに与えていただいた信仰によって、赦しあい認め合う事が出来るのが、私たちなのです。
そして、今の状況は、まだ、途中の状況である事を知っておかなければなりません。
主の十字架に導かれた私たちですが、この平安・安息は、まだ、途中の段階なのです。
なぜなら、本当の安息・平安は、キリストの再臨の時に永遠の命として与えられるからです。
今こそ、備えの時なのです。
神さまからの約束は、まだ終わっていないのです。
聖書は、教会は、その福音を宣べ伝えています。
詩編95:11の引用。神さまは、イスラエル(神の民)を招き、祈りによる交わりを持つことを勧めるのです。
その中で、「心の中に迷いの有る民」であるなら。信じる事の出来ない民に対する裁きを伝えます。
それと同時に、この約束は、選ばれた民以外(異邦人)には、まだ、残されている事が伝えられるのです。
神さまは、もっともっと大きな恵みを見せて下さるのです。
神さまの愛と憐れみは、私たちに注がれ続けているのです。
神さまの約束は、続いているから、全ての民が安息に入れられるように。
キリストを信じる人が、天に召される時、終わりの時に安息に与る事ができるように信仰と礼拝を守って行きたいと思うのです。