ヘブライ人への手紙 3章1~6節
高松教会 村上貴志
この章でも、「神さまに召された、教会に集う兄弟姉妹がたよ」と、呼びかけます。「神さまによって引き合わされ、そして、これから共に歩みを進めていく人たちよ」と、全てが、神さまの御計画の内にある事を伝えるのです。そして、神さまからの御言葉を伝えて下さるイエスさまの事を「しっかりと考えなさい」と、言うのです。「しっかり」ユダヤ人たちの中には、それ以外に仰ぎ見る人がいたからです。 神さまの約束・顕現を感じる時、アブラハムやモーセの名を思ったのです。そう思っている人に、「今まで、パウロや使徒たちが語ってきたような、主イエスのキリストとしての働きを思い出して欲しい」と、伝えるのです。モーセは、エジプトから導き出した・救い出した指導者。イエスさまは、罪の世界より、救い出したお方。同列のように思えても、そうでは無い。「モーセ」は、ヒトとして示された通りに語っただけ。イエスさまは、「神の御子として、ご自身の強い思いで、地上で働かれた」のです。その事を言い表している譬として、ルカ13章の「実のならないいちじくの木」の譬えがあります。(主の宣教期間)三年の間、実がならないいちじく。園丁は「今年もこのままに」と、願います。この木が伐り倒されることがないように、御自身を、献げられると語られるのです。この木が(民が)生きるために、神さまに繋がるように、民に悔い改めの思いが満ちるように、導かれるように、御自身を献げられるのです。「神さまは、この木を(この民を)切り倒したいわけはなかった。深く愛しておられた。」この神さまの思いに忠実であったのです。 イエスさまを通して、「これ以上の喜びはありません。神さまの深い憐れみを、真の愛をいただきました。」と、「主に栄光を帰する信仰を、讃美を、持ってもらいたい」と、パウロは願うのです。