ヘブライ人への手紙 1章5~18節
高松教会 村上貴志
「イエスとは、神さまからの新しいお告げをされる新しく誕生した天使なのですか?」ユダヤ人たちは、当時の常識的に・伝統的に考えてそのような思いを抱きました。教会は、「教会が伝える救い主は、神殿で教えられる天使とは、全く異なる存在だ。」と、教えるのです。その根拠として、詩編2:7を引用します。「神さまが定められた事(掟)は、『神さまが、救い主であられるイエスさまの父』である」と言う事。「神の独り子であるお方には、人の王以上の権能が与えられている事」を伝えるのです。 また、統治権だけでなく裁き人としての権能もが与えられている。しかし、それは、一般的な裁き人ではありません。救い主であるお方は、神さまから離れたという罪を明らかにし、悔い改めを求められるお方なのです。それも、特別な温情を持たれて。まず、御自身の十字架の業において、全ての人が神さまから離れるという罪の世界から救い出され、その御業によって、全ての人に赦しを宣言された。その上で、「信じる者全て」と、語られたと言うのです。 この王たる裁き人は、罰するためではなく、赦すために私たちの元に来て下さった。「全ての人が、神さまに繋がれる存在」となるように、地上に来られたのです。それは、裁き人と言うより、祭司・大祭司としての働きなのです。「公正・公平」このお方が神さまの元に招かれる人は、義なる者だけでなく、悔い改める者も全て。神さまの創られた全ての人が、等しく招かれていることを明らかにするのです。 そして、この約束の有効期間は、神さまが全てを創られた後、永遠だと語るのです。詩編102:26-28から引用します。取り巻く環境。政治や体制・人の思いや流行は、変わることがあったとしても、神さまの思いは、「私たちを愛して下さり、祝して下さり。共にいてくださる事」は、変わることはないのです。