ヘブライ人への手紙1章 1~4節
高松教会 村上貴志
この手紙。おそらく特定の人や教会ではなく、「聖書の神さまを知っている、神さまの歴史の中に生きたイスラエル(神の民とされた者たち)全て」に語られている説教集と思われています。まず、「神は、語られた」という事が、記されております。大事な事を、最初に伝えるのです。「この終わりの時代には」と、「ずっとずっと続く、変わることない神さまの思いが、地上には注がれている」と、語り始めます。 しかし、この事は、人にとっては、実は、暗い歴史であります。なぜなら、語られた時のほとんど。人は、神さまに背いた歩みを進めていたからです。 神さまから離れる「罪」。神さまの御腕の中で生きて行かなくては、立ち行かないにも関わらず、人は「神さまから離れる」という過ちを繰り返し犯します。そして、その都度、灰の中に入れられたような嘆きの中に陥り、「神さまのお名前」を、「悔い改め」と言う誓いの涙をもって、呼び求めるのです。 人が、勝手に神さまに背いて、その楽園から出て行ったのだから。「因果応報」なのですが、神さまは、迷える民を憐れみ導いて下さいました。あらゆる方法で。その数は、再び・繰り返し神さまに背いたと言う歴史の証しだと言うのです。それは、人の自由意志の中では、終わる事は、無いのかも知れません。 不完全な人の思い・行動・歴史では、どうしようもないのです。そこで、神さまは、完全な方法で、人を導かれる御業を地上に与えられました。 新しい時代は、神さまの御独り子の業によって、一度のみ、行われました。イエスさまの十字架の贖いの御業により、新しい世界「神さまと共に歩む世界」へと、私たちは、移されたのであります。 イエスさまは、このことをも天に昇られた後にも、語り続けられるのです。弟子たちや、教会・信仰者を通して。共にいて下さって。支えて下さって。