ルカによる福音書 2章22~39節
高松教会 村上貴志
イエスさまの両親のヨセフとマリアが「ユダヤ教の律法・習慣に則って、神殿に詣でた事」神の御子でありながら、市井の人たちと同じ定めを行います。救いを必要としている人が感じる事ができるように。
神さまの御計画は、進んでいるのです。神さまとアブラハムとの約束の通り。幼子は、この儀式によって神さまと契約を結んだ民の一人とされました。イエス(神は救い給う)と名付けられ、初子として献げられ、清めの期間を持ちました。「主の聖なる者」定められたイエスさまの役割が示されたのです。
救いの御業を喜ぶ、「シメオン(待つ民)」。この人は、「主の慰め・メシアの救い」(イザヤ40:1)を待ち望む希望の人でした。神殿で幼子に出会った時、示された言葉が、「今なされた」と、確信したのです。預言者として、この幼子を待ち望んだ救い主・メシアとして捧げたということです。
そして、次に女性の預言者である、アンナ(神さまの恩寵)が。彼女は、若い頃、夫を亡くし神殿での憐れみを受ける生活を送っていました。祈りの生活を、救いを求める生活しかなかったのです。そして、イエスさまに出会います。ずっと祈っていた事の実現を感じました。その喜びを、感じて、定められたように、この祝福に与り、神さまの御業を信じ、認め、救いを待ち望んでいた全ての人たちに、「救い主がお生まれになった喜び」を証言したのです。
長い間、待ち続けた二人。地上の生涯で「その約束の成就」を見ることができた者は、「大きな喜び」で満たされたのです。「待ち望んだ信仰」を持つ人は、御降誕を経て、「与えられた救いを確信する信仰」へと、変えられるのです。これも、神さまが定められた「救いの御業の始まり」なのです。私たちも、この喜びを讃美し、新しい年を迎えたいと思うのです。