ヨハネⅠ 2章1~17節
高松教会 村上貴志
ヨハネの手紙は、「罪」と言う事について、「もう一度、考え直して欲しい・深く知って欲しい」と、書き送ります。教会が語る「罪」とは、勿論、地上における(法と人との約束事の)罪で有りません。それは、私たちの事を愛して下さっている神さまから「思いを遠ざけてしまう・離れてしまう」という罪です。ただし、これは、神さまを知っている人限定です。まだ、神さまが自分を愛して下さっている事を知らない人・気づいていない人たちに対しては、問うていないのです。確かにキリストは、全ての人を神の国に招いてくださいました。それは、全ての人を、「神の国に入れた」のでは、無いのです。「招いておられる」。来ていないからと言って断罪はしません。教会は、その人たちに、これから、神さまがどのように私たちを愛して下さっているかを伝えていく使命を担っているのです。
「知らない故に。知っていても。」人の罪は、明らかにされます。正しいと思っていた自分も、罪に定められるのです。その時、「私の事を、弁護してくれる者は、いないのか!」そう叫びます。
ヨハネの手紙では、「まことの弁護者が、おられる。あなたたちと共に居られる。」と、告げます。その弁護者の実力とは?私たちの大きな罪を、願って、執行猶予にして下さるとでも言うのでしょうか。
そうでは、有りません。 私たちの罪「神さまから離れた罪」を、「代わりに償ってくださる」と、言われるのです。そして、私たちを解き放つ所は、今までと同じ罪の世界では無く、「キリストの体の教会だ」と、言われるのです。神さまの翼の懐に、匿ってくださると言われるのです。驚きの出来事に出会った私たちは、「新しい掟・神の愛の実現」のための、「救いの出来事」を信じただけなのです。