ヨハネによる福音書 18章28~38節a
高松教会 村上貴志
イエスさまは、「真理」について語られます。
この「真理」によって、イエスさまは神の民に「救い」を与えるのです。
「救い」とは、使徒信条の最後に告白させていただく「罪の赦し・体の甦り・永遠の命を信ず」と言う事です。
それを、「知る」事が、大切なのです。
ただ、神さまから離れた罪の世界に沈んだ者にとっては、それを「知る」事は、簡単では有りません。
「教えていただく・説き明かして」いただかなければ、神さまから離れようという強い地上の意志に、捕らわれている・取り込まれている者が、「知る」事は、出来ないのです。
「神さまの御国が来ますように」ではなく、「わたしの世界が、この世が、続きますように。」と、願っているからです。
「わたしの世」恐らく、これは、しばらくは続くものでしょう。
しかし、それは、仮初めのものであります。
なぜならば、神さまが、「人がそこに、永遠に、留まる事を、望まれておられない」からです。
神さまは、そこを通って、「来なさい。こちらに来なさい。」と、願われているのです。
その事によって、「神の国の民としての本当の喜びを知る」ためです。
「神の国の民にしていただいた喜び」に、「私たちが与るため」にです。
イエスさまは、その世にいる人たちに、「永遠の命」を教えて下さります。
それは、「あなたたちが、神さまの永遠の所有の中に生きている」という、「大いなる喜び」を伝えて下さったと言う事です。
この世での生活の中で、確信を持てないまま、闇雲に進む。
先を見通す事が出来ずに、不安を感じながら歩む者たちに、「導きの光・道」を示された。
いえ、「目を覆っている闇を振り払えば、既に、御国に招かれている世界」があることを教えて下さったのです。
教えるだけでは無く、目の前にいる者たちを変えて下さったのです。