ヨハネによる福音書15章11~17節
高松教会 村上貴志
イエスさまは、「あなたがたが出かけて行って実を結びなさい」と、命じられました。
主は、弟子たちを御自分の愛の中に置くことによって、その不安・心配・苦痛を取り除かれたように、弟子たちも、「同じように、弱い人たちに寄り添って、その重荷を担いなさい」と言われるのです。
「重荷を背負う事」イエスさまは、それを「喜び」と表現されました。
13節では、「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と、語られます。
主の歩みが、十字架での贖いの業。
御自身の命を差し出す事で愛する者たちの命を、罪の世界より取戻し、「神さまと共にある永遠の命に入れて下さる事」が使命であることを御存知で有ったのです。
だけれども、命じられても、…。「全き愛を持つこと。」その事が、難しいのです。
「互いに大事な思い」であることを理解していたとしても、やはり、自分の思いを優先させてしまうのです。
16節「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだ」
主は、あなたの力でそれを実践せよとは、言われないのです。
イエスさまの行われた愛の交わりによって、平安の中での救いが現されるのです。
この喜びを讃美する事に突き動かされる者へと変えられたのです。
従う者・僕ではなく、同じ福音、「神さまからの良き知らせ」を告げ知らせる「同労者・友」と呼んでくださるのです。
その力与えられた友に、「行って」と、命じられます。
それは、「自信を持って・証しを携えて」と言う事です。
私たちは、もはや、「何もわからない、言われたままの事を成す僕」では無いのです。
「主の愛を知り、実践する事の力与えられた、作り変えられた友」なのです。
その歩みが、証しが、「実り」と、なるのです。