詩編 96編章1~13節
高松教会 村上貴志
今日、喜びの蝋燭を一つ点火しました。「
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(ヨハネ1章)
救い主がお生まれになったこの良き日を待ち望みます。
最初の蝋燭は、「預言・希望」。神さまからの約束の知らせを、もう一度、思い出し、絶望の世界から解き放たれる事を待ち望むのです。
「絶望」どのような状態なのでしょうか?イスラエル・神の民は、虜(とりこ)と、なっていました。
「祝福してくださる」と約束して下さった神さまが、おられなくなったのでしょうか?
いえ、そうでは、有りません。
民の方から離れてしまったのです。
「喜び」と「希望」を、愚かにも手放してしまったのです。
苦しみの生活・歩みが、訪れました。「悲しみしかない毎日」となりました。
「神さまから離れる」罪の虜となったイスラエルには、光が見えなかったのです。
民は、その光が、再び与えられる事を待ち望みました。
そして、「主に向かって歌え。」(イザヤ42章・歴代誌上16章)
神さまから確かな約束のしるしが、与えられました。喜び、讃美しました。
神さまの世・神さまによる統治、平和と平安。「絶望」が、取り去られたのです。
その平和と統治は、他国をも覆いつくします。
だから、力を込めて叫ぶのです!「全地よ」と。
全ての民よ、全てを治められるイスラエルの神さまは、異邦人のあなたたちの事も、招かれる。
イスラエルの救い主は、ルカによる福音書2章でシメオンが語ったように、「異邦人を照らす啓示の光」でも、有ったのです。
神さまは、全地に向かって手を広げられました。全ての人に対して。まだ、御手の内に入らない人たちにも限りない恵みを与えて下さっているのです。
この良き知らせを、「神さまからの約束・預言と希望」を、私たちも、讃美し続けたいと思うのです。