ヨハネ書 12章27~36a節
高松教会 村上貴志
「光のあるうちに歩きなさい」というイエスさまの勧め。
「光は、無くなってしまう」と言うのでしょうか?
では、そのタイムリミットまでに、私たちは、どうすれば良いのでしょうか?
イエスさまは、「光の子となるために、光を信じなさい」そう語られるのです。
このことは、…。簡単な事では有りません。
イエスさまのお言葉は、「光の子となりなさい」と強い命令だからです。
それは、「確実に、今すぐに」と言う事です。
どうして、その様に語られるのでしょうか?「ゆっくりと、回り道しながら、…。」
では、ダメなのでしょうか?
「まっすぐ進んでいるのならば、導きに従っていると、思うのですが、いかがでしょうか?」それが、今の私の気持ちです。
「導きに従う」神さまの声を聞いて、進んでいると、私は、思っているのです。
そのような私の思いに対して、イエスさまは、教えて下さいます。
イエスさまが、私たちの迷いを打ち払われるために、私たちと同じように「心騒がせ、父なる神さまを呼び求められた時」人は、二つの組に分けられると。
「神さまの声を聞く者と、聞こうとしない人たち」に。
「律法によって、メシアは永遠にいつもおられる」と聞いていた人たちは、「今でなくても」と、思ったのです。
この気持ちが、神さまからのしるしを、見逃す原因で有ったのです。
しかし、この世には、終わりの時が来る。救い主が、再び来られる時に、裁き・判別される時が来る。
神の民・光の子なのか、地上の民・罪の子なのか。
私の賜物・力・努力では、「光の子」としての歩み。全うできません。
私自身の力では、出来ないから、救い主が、人の姿を持って私たちの傍らにいて支えて下さるのです。