エフェソの信徒への手紙2章1-10節
坂出大浜教会 今井靖清牧師
私たちは生まれながらにして、罪人であり、神の怒りを受けるべき者であった。
神は罪のために死んでいた私たちをキリストと共に生かすことをされた。
これは一方的な神の恵み。 賜物であるとパウロは語る。
この賜物を得たら神の御心に適う善い行いをしていくこと。
それは一人一人の創造において神が意図したこと。
そのために私たちは神に造られた。 私たちは神に造られた神の作品です。
神が製作者で、私たちは作品。
作品は人の目に映るとき、そこに訴える何かがある。
すなわち、キリスト者は恵みによって、神の賜物によって救われた事を現していくこと。
そこで、私たちは土の器です。 器に何を入れるか。
キリストで満たすこと。
キリストで満たすために、神がキリストにある命を、私たちに与えられました。
キリストで満たすのに先行するのは、器を空にすること。
空っぽになったところを、キリストで満たすこと。
私たちは作品としてそれぞれの所に差し出されています。
その場所にあって、それぞれが購われた姿をもって、神の栄光を現していくこと。