マタイによる福音書 28章1~20節
高松教会 村上貴志
明け方に二人のマリアは、墓に急いで見に行きました。
二つの心配事が有りました。番兵がいること。お墓の大きな石を取り除く事。
その障害を取り除くという心配事は、いとも簡単に神さまの使いにより解決されました。
天地がゆれる大きな地震が起こり、空から主の天使が降りてきたのです。
地震は、神さまが御業をおこなうことをあきらかにしています。
天使がどのような方法で、石を取り除いたのかは記されてはいません。
しかし、石の蓋は、墓の封印でありその上に乗っていることは、まさに、「死に打ち勝つキリスト」を、象徴しているかのごとくでした。
二人のマリアは、その天使の姿をみて、驚いたことでしょう。
そして、神さまの使いに出会ったことに、恐れを抱きました。
そこで、かけられた言葉は、「十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。」でした。
弟子たちも、ここには、いない。みんな、逃げて隠れてしまった。
女性たちは、地位も無く、発言力も無く、本当に何も世に対してできない。
不安な時で有ります。そのような時の、「ここには、おられない」絶望の言葉に聞こえたかも知れません。
しかし、その後に続く言葉は、「かねて言われておったように、復活なさったのだ。」でした。
以前イエスさまが、言われていたとおりに甦られたのです。
その事を、天使からハッキリと聞いたのです。
十字架の贖いは、真実であり、イエスさまが「メシア」として、救いが完成する。
伝えた時に、どのような事が起こったか。引きこもっていた弟子たちには、再び力が与えられた。そして、行動した。
絶望の淵にあった、弟子たちが、再び励まされた。
妬み、嘘、高ぶり、傲慢、保身。人の罪に巻き込まれて恐怖した弟子たちが再び立ちあがり、主の業に送り出されたのです。