ヨハネによる福音書 1章19~28節
高松教会 村上貴志 牧師
洗礼者ヨハネが語る、「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
『主の道をまっすぐにせよ』と」とは、どのような事柄なのでしょう。
この言葉は、イザヤ書40章からの引用と言われています。
神さまから離れた、恵みと祝福と平安が失われた所。
そこが、荒れ野です。
ヨハネが語る一つ一つの言葉は、「神さまは、人々の事を、いつも、思ってくださっている。
愛して下さっている。
その神さまの導きに従って、神さまに立ち返るよう」語った預言者や指導者たちの言葉に聞こえました。
神さまからの言葉を取り次ぐ祭司やレビ人たちが、問いかけます。
「あなたは、どなたですか?」この言葉は、「あなたこそ、メシア・救い主でしょうか?」という、質問です。
それほどまでに、洗礼者ヨハネの働きは、イスラエルを、神さまの元に導くようなものであったのです。
ヨハネは、隠さず公言しました。「自分は、メシアでは無い」と。
ヨハネは、教えます。
「人の語る言葉は、『すべてが、荒れ野で叫ぶ声』のように、思えるかも知れない。しかし、その声の後に来てくださるお方が、主イエス・キリストが、真の救いを、人をつくりかえる聖霊による洗礼を授けて下さる」と。
人の語る言葉は、…。永遠ではない。歴史を顧みると、悔い改めた者でさえ再び暗闇に引き戻される。何も、なかったことと同然である。
しかし、空しさを知りながらも、声をあげるのであるならば、…。誰も、聞いていないと思いながらも、荒れ野で声をあげ続けるのであれば、…。
主は、必ずその声を聞いていてくださる。
その事を、知ったならば、覚えたならば、…。私たちは、語り続ける幸いを知るであろう。「伝えよう」この小さな声の後に来られる主を信じて、荒れ野で叫び声をあげ続けたいと思います。