ガラテヤの信徒への手紙 5章16~26節
高松教会 村上貴志 牧師
パウロは、ガラテヤの信徒への手紙で、何度か御霊の働きについて述べておりました。
そして、ここでは、それらを総括する勧めをいたします。【16節】
教会が、肉の欲望に満たされて、霊の導きには、全く従っていないかのような語調です。ですが、そういうわけではないのです。
教会の中の問題としては、「今、霊の導きと、肉の欲望との戦いがある」と、言う事ではなく、「『霊の導き』という事を意識しているかどうか?」ということです。「『霊の導き』を受ける」とは、「キリストに救われている・キリストと共にいる」という事です。「そうであるから、教会に集っている。もちろん、あなたがたは、そう思っていたはずである。過去には、…。洗礼を授けていただいた時には、…。」
しかし、「今も、その事に対して、真剣に考えているのであろうか?」これが、パウロの問いかけです。
現に、教会の中で、少しずつ「肉の望む事」が、増えているように思われる。思い出して欲しい。
「イエスさまが、十字架に架かって下さった出来事によって、人は、どのように変えられたかを。それを、伝えられた時、信じた時、あなた自身に、どれほどの衝撃が走った事か、方向転換をしたことか、変えられたかを。」「考え方や思いが変わった」と、言うよりも、…。「新しく生まれ変わった」そのように思ったはずだ。感じたはずだ。
であるにもかかわらず、「何故、あなたがたは、再び、捨て去った物を、身につけているのであろうか?」と、問いかけるのです。
肉の欲望は、働き。実は、苦いものを生じさせる働きであります。
それに対して、霊の導きは、「実」。「愛・喜び・平和・寛容・親切・善意・誠実・柔和・節制」私たちにとって、有用な「実」なのであります。