ヨハネによる福音書 14章1~14節
高松教会 村上貴志
「こんなに長い間一緒にいるのに」心に突き刺さる言葉です。
弟子たちは、従おうとしているのですが、主の姿を見失ってしまう。
心配な事が、少し前に、急に増し加わったのです。
しかし、主は、「後でついて来ることになる」と語られました。
主は、弟子たちのすぐ先を導いて下さっているのです。「道であり、真理であり、命である」
でも、トマスは、言うのです。
「わたしたちには、わかりません。」
弟子たちは、見失っていたのです。
私達がいる所は、決して、見通しの利く広い場所ではありません。
神の国の方向を、見渡せない場所です。暗い洞窟の奥の奥底のような所なのです。
そこに、神さまを離れて、神さまから、逃げ出して、回りくねった奥底に、逃げ込んでいたのです。
いや、逃げ込んだのではありません。
新しい掟に、「互いに愛し合う・ついて来るように」事を教えられたにも関わらず、反対方向への道を進んだのです。
勿論、その事を、悔いました。
「愛の業」から離れる事のわびしさを感じたからです。
でも、もはや出る事は、叶わない。道がわからない。
「神の愛」を、見失った者は、「光」を見失った者であり、暗闇の中で彷徨う者なのです。
その様な歩みを、本当に、悔いました。「次にチャンスが与えられるのならば」
その願いを、主が聞いて下さり、導きに来てくださいました。
しかし、また、今日も、見失います。
曲がりくねった暗い道。すぐ後を進んでいても、主が先を曲がられる度、見失ってしまうのです。
また、見失ってしまった。心がざわめく出来事の繰り返しです。
そのような者たちが、願う時祈る時。
一歩先を進んでくださる主がいて下さりながらも曲がり角の度に見失うような所に、「私は、いる」。
罪深さを知ると共に、そこまで迎えに来てくださる神の愛・主の救いの業を、覚えたいと思うのです。