マタイによる福音書8章1-4節
高松教会 村上有子
「レプラ」という言葉は、旧約聖書の「ツァアラト」を七十人訳聖書(古代ギリシャ語訳新旧訳聖書)の段階で訳されました。それは、特定の「らい病」という病名です。日本語聖書は、その七十人聖書から「らい病」と訳出したと思われます。新改訳聖書第三版のあとがきにはこのように記されています。
「『らい病(人)』と訳されてきたヘブライ語『レプラ』『レプロス』は、『ツァアラト(の者・人)』と訳出することにした。…聖書の『ツァアラト』は皮膚に現れるだけでなく、家の壁や衣服にも認められる現象であり、厳密には何を指しているのかは、分からないからである。…この症候は『きよ』と宣言されるまでは、それは『汚れたも』と見なされた。それゆえ、聖書が教える神様のきよめの恵みを正しく理解するためにヘブライ語『ツァラアト』は特定の病名に結び付けることが出来ないと結論に達した。」とあります。
人間の罪が生み出した「汚れ」とう感覚によって、存在をなき者とされてしまった方々。ハンセン病が癒されても続けられた強制隔離。それは、国の罪だけではく、私の罪でもあります。 神様は私たちに願っています。イエス様を信じることによってのみ可能な「救い」。イエス様に留まっていることにみによって可能な「きよさ」。主に留まる。主から離れない。主にすがり続ける。それが、神様の私たちへの願いのようです。