マタイによる福音書7章24-29節
高松教会 村上有子
イエス様は「山上の説教」を語り終え、これらの言葉に対して「あなたは、どのように応答しますか?」という厳しい問いとも言える箇所です。「はい、わかりました」と答えることはできても、そのように行動できるかどうか、私たちは問われているのです。
イスラエルの地形、気象は非常に複雑です。乾期は長く、始まりと終わりを予測することが比較的簡単なのだそうです。それに引き換え、雨期は、予想の出来ない突発的な豪雨があり、非常に強い雨が2~3日続くそうです。海からの暴風雨がパレスチナの丘陵を吹き荒らして超えて、ほとばしる洪水の様に険しい傾斜をガリラヤ湖に向かって下るそうです。
この雨期は大切な供給水となるので、必要ですが、粗末に造られた家にとっては、大損害をもたらします。しかし、このイエス様の譬え話で表わしている「家」は、一人一人の「表面」です。何もない時には、何の問題もありません。しかし、「想定外」のことが起こった時に、どう行動するか…それが、その人の「土台」だというのです。何を考え、何を信じ、何を頼りにしているのか、「有事」にはっきりします。イエス様の「山上の説教」を聞いた群衆、弟子たちの中で、これらの言葉を理解できた者がいたかどうか分かりません。少なくとも、弟子たちは理解したと思っていたかもしれませんが、イエス様が十字架にかけられ、葬られた後に、鍵をかけて閉じこもっていた弟子たち。彼らは、何も理解できていなかったということです。私たちは、艱難にあいます。そして、復活されたイエス様は再び来られます。あなたは、イエス様を喜び迎える用意はできていますか?イエス様の御言葉を聞いた者は、岩なるイエス様を土台として、具体的な一歩を踏み出せるはずです。主にあって。