ルカによる福音書1章39~56節
高松教会 村上有子
皆さんは、クリスマスをどのように待ち望んでおられますか。
旧約聖書の預言を信じて生きた女性たちが、今日の箇所の主人公です。
不妊の女として苦しい思いをしてきた、高齢の女性「エリザベト」。そして、ヨセフと婚約期間に入っていてまだ関係を持つことはなかったおとめ、(当時の女性の結婚は12~13歳と言われている)若いマリア。
全く違う違う状況。
しかし、神の御計画に従って「妊娠」いう共通点をもっていました。
それゆえに、主は、二人が共に過ごす時時と場所を備えてくださったのが、今日の場面です。
マリアの状況を理解できるのは、エリザベトしかいない、とマリアは天使ガブリエルから告げられた言葉から受け取ったことと思います。マリアは、自らの体に起こっている不思議な状況「妊娠」を一人で心に秘めておくことの苦しみを覚えていたでしょう。ヨセフにお話ししても、すぐに理解してはもらえず、「密かに離縁(マタイ1章)」しようとしたことから分かります。マリアは、急いでエリザベトを尋ねます。エリザベトの喜びもここで表現されています。
マリアは、「どの時代の人も私を幸いな人と呼ぶでしょう」と歌っていますが、マリアが置かれていた当時の状況は決して順風満帆ではありません。のちに、出会うシメオンという信仰者から、生まれてきた幼子を通して「あなた自身の心さえ刺し貫くことになる」と言われてしまいます。
マリアは、幼子イエス様を通して、主に在る「幸い」を得ますが、世の価値観で言うと「苦しみ」の連続だったと思います。
それでも、マリアは歌います。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
主を信じ切る信仰は主から与えられた!その主を褒めたたえる。
「主を信じる」者は、この世のどのような状況にあっても主を喜びたたえることができるということです。