コリントの信徒への手紙Ⅱ5章16~21節
高松教会 村上有子
本日は、コリントの信徒への手紙Ⅱから、主の御声を聞かせて頂きたいと思います。
コリントの信徒たちの教会は、パウロの伝道旅行の実です。まだイエス様を信じて間もない信徒たちを案じて、パウロは、諸地域に興された若い教会を再訪したり、手紙を通して、励まし、教育しました。コリントは大きな都市であり、世俗的な誘惑も多く、以前の生活に戻ってしまったり、似て非なる宗教に誘惑されたりと、落胆させられる情報が入って来たりと、パウロの心配は尽きないようでした。コリントに宛てた手紙は2通だけではありませんが、聖書として認められた書は2通です。そのうちの第一は、課題や問題に対して、項目ごとに比較的整理された、理性的な手紙と言っていいと思います。第二の手紙は、パウロのコリントの信徒への思いがあふれて、感情的は面を持つ手紙です。
今日の箇所においては「和解の使者」としてのパウロの役目を解り易く説明しています。神と和解して歩むことを人々に説得しています。その根底には、キリストの十字架の贖いがあります。キリストは、私たちの罪のために、罪ある者として、私たちの身代わりに死なれました。そして、復活されました。私たちは、死んだものであり、キリストにあって、生きている者であるということ。だから、私たちの生きている目的は、キリストのために生きること。キリストは、父なる神に死に至るまで忠実に従われ、その歩みに私たちもならって「キリストの使者」として、「神との和解を伝える使節」として歩んでいくのです。パウロがコリントの信徒のために、労しているように、私たちも神の愛する人々のために、労していくことをこのみことばから教えられました。
自分にはなにもないからこそ、主からの知恵と力によって、宣教の働きに参与させて頂ける!感謝‼