高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 1章1~8節 この手紙は、「信仰と行いの問題」について、主の兄弟ヤコブの名前で書き送くられた書簡です。これは、世に生きる者にとって現実的な問題であって、今の時代の私たちにも通じるものであります。 今も昔も、信仰をもったからといって、世の中から離れるわけではない。日常があります。決して、周りと乖離している訳では有りません。 日曜日は、礼拝の日なのか?お休みなのか? 今の日本では、「お休み」が、多数派意見となっている。「日曜日に礼拝」これを希求する事は、一つの試練と言えるかもしれません。「周りの状況」に身を委ねるのか? それとも、信仰に立つのか? でも、信仰を中心としても、試練は湧き起ります。なぜ、善い生活。神さまの前で相応しい祈りと讃美の生活を送っていて、その様な困難があるのでしょうか?悩みに落ちます。苦しいと思います。その事に対して、ヤコブの手紙は、励ましの言葉を送るのです。手紙は、その試練が「キリストに至る道であるから」だと言うのです。信仰が試されている。 この手紙では、「忍耐するよう」求めます。それは、我慢する事とは、異なります。「まずは、自分自身を見つめる事」を、勧めるのです。この試練は、「私の罪に対するもの」なのか?それとも、「信仰=神さまの教えられたことに対するもの」なのか? 神さまに対してであるはずは、有りません。御子が、既に世に勝っているからです。【ヨハネ16:33】 信仰者たちが、キリストと同じように、世に打ち勝っている事を知るための、試金石だというのです。 ここで大事なのは、「知るための」と言う事です。【ヨハネ第一5:4-5・4:4参照】 私たちの内より支えてくださるイエスさまの方が、外よりの試練よりも強い。故に、信仰を持って願う者は、世に負ける事は、無いのです。
2021
28Feb