高松教会 村上貴志 イザヤ書 57章14~19節 「盛り上げよ、土を盛り上げて道を備えよ。わたしの民の道からつまずきとなる物を除け。」本当の道路を作るのではありません。心の中を整地し、大切な思いを心の中心に、そして、上に挙げて、「自分の進むべき道を、見いだせ!」と、語るのです。 進む時、歩み始める時は、本人の決断。一人であります。しかし、ずっと一人では無いのです。後に続く人がいる。だから、「迷いながらではなく、一本道を。神さまに続く一本道を。道が汚れていたら、クリーンに!妨げとなる障害があるなら、取り除くように!」後に続く人たちを覚えて語るのです。 マルコによる福音書の冒頭で、洗礼者ヨハネも引用しおります。このヨハネのように、「罪の赦し・悔い改め・洗礼」を、周りの人たちに伝えていく。 難しい事でありますが、15・16節で語る、神さまをお伝えする事。「神さまは、偉大で、時をも超えた慈しみを持っておられる。過去に繋がるアダムからの『神さまから離れた罪』を、赦される。これから先。不安におびえる人の思いを、支え続けられる。」 「あなたは、神さま側の人間だ」と、宣言して下さっているのです。神さまから離れた取るに足らない者であっても、「命を得させる」そして「用いて下さる」と。神さまは、今を見られている。悔い改めと伏した目を上げる者を、見て下さっている。 神さまに繋げてくださり、与えてくださり、その地位を回復して下さり、未来の祝福を約束して下さる。「捨てられる事は無い」と、語られるのです。 嘆く者を、「いやし・休ませ・慰めをもって回復させる。」そう語られる。「あー、何と言う慰め!」 讃美と感謝の祈りが、溢れ出るように・祝福されるように、回復させてくださる・癒して下さる。 この待ち望んだ喜びを、私たちは、キリストによって受け取ったのです。
2020
20Dec