高松教会 村上有子 マタイによる福音書2章13~23節 1節の「占星術の学者たち」が「マギ」です。実は、英語のマジシャンの語源となっている言葉なのです。「マギ」は旧約時代にイスラエルの民が捕囚された地で、国の祭儀を司っていた祭司階級の呼称でした。やがて「マギ」という言葉は、人知を超えた知恵と力を持つ存在を指す言葉となり、そこから「マジシャン」になったようです。「ユダヤ人の王」の誕生を知った「マギ」は、自分たちの一番大切な物を携えて出掛けます。3つの宝から、いろんな名前や形容詞が「マギ」に付くようになりました。王権の象徴として「黄金」を持ってきた青年のマギ「メルキオール」。神性の象徴である「乳香」を持ってきた壮年のマギ「バルタザール」。将来の受難である死を象徴して「没薬」を持ってきた老年のマギ。3賢者と呼ばれるようになっていきました。それだけ魅力的な場面なのです。それに対比して、この地域を治めていたヘロデ王は、自分を拝まない者は全て殺す。自分の思い通りにならないと、幼児まで殺す恐ろしい自己中心性です。しかし、ここで問われるのです。私は、「マギ」か?「ヘロデ王」か?最後に紹介したい物語があります。「The gift of the MAGI」というオー・ヘンリーの著作です。この物語の最後には、こうあります。「自分たちの一番大切は宝をお互いのためにいとも愚かしく犠牲にしてしまった、アパート住まいの愚かな二人のたいした波瀾もない物語なのだ。…(中略)…世界のどこに住んでいようと、彼らこそもっとも賢明なのだ。彼らこそ東方の賢者なのである(They are the Magi.)。」ここから、私たちがどれほどの贈り物を頂いているかを確認したいのです。イエス・キリスト。この世にはない、神からの最高の贈り物、主イエスさまが私のためにお生まれになった。この方に、何を私は捧げることが出来るでしょうか。ローマの信徒への手紙12章1節。
2020
15Nov