使徒言行録 5章33-42節
高松教会 村上貴志
「これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうとした」(33節)
神さまの国。イスラエルの政治的・宗教的指導者の言葉でした。
激しい怒りの日常。主の思いから離れると、いとも簡単に驕り高ぶるのであります。
そのような人の姿あれば、ガマリエルのような人もいます。
ルカは、「律法の教師」と伝えています。「神と共に。民と共に」皆からも尊敬される人と。
ルカは、この教師は、「神さまの事を第一に考えている。」と紹介するのです。
ガマリエルは、イエスさまの甦り・十字架の救いを伝えていた使徒たちについて、深く考え、議会に問いかけます。
「彼らは、正しい人なのか?間違っている人なのか?」
テウダのような財を貪るペテン師なのか?それとも、ユダのように信仰的であっても暴力的革命を求める者なのか?
真に神に仕える者とは?使徒たちは、神の思いなのか? それとも、人の思いなのか?
彼らには、覚悟ができている。
後に記されるステファノのように、殺されても主を讃美し続ける信じる思いを、溢れださせている。
ガマリエルは、認めて告白するのです。「彼らは、神からでたものだ」と。
彼らが、真に神さまから出たものであるのならば、裁きを下そうとする者こそが、神に反する者だ。
ガマリエルは、思い出させようとするのです。
「私たちは、神さまと共に有る民である」いつも、神さまの思いの中で暮らす民なのだ。
判断しようではないか!
使徒たちは、試されます。鞭打ち・瀕死の状況にあわされても、同じようにするのか?
十中八九死を覚悟した使徒たちは、神さまの憐れみに感謝します。
この痛みと苦しみは、主の業に与ったものであったと。
しかし、語らせていただける。
伝えさせていただく事こそが、神さまから出た者の本当の喜びであるのです。