ヨハネの手紙Ⅲ 1~15節
高松教会 村上貴志
聖書も手にする事の出来ない時代、共通の讃美歌も無い時代。福音を伝えていくのは、信徒同志による口移しの証しでした。「イエスさまが、私たちのために教えて下さった事。そして、私たちのために、十字架に架かられ、神さまとの祈りの関係を取り次いでくださった事。祝福と恵みが、今いる場所にも、与えられている事。」これらの事を、教会の中で伝えあってきたのです。そして、大きな福音の一つに、教会を巡回してくる指導者たちがおりました。 使徒たちの流れをくむ教会が派遣した祝福の人。ここでは、デメトリオの名前が挙がっております。かれは、大いなる福音と励ましの証しを伝えてくれました。また、彼は、各地を巡回する伝道者でありましたので、それぞれの教会で、主が現わされた大きな喜びの証し・兄弟姉妹がたの声を、主の栄光を、伝えました。彼らの働きは、神さまがお喜びになられる事です。教会の信仰の養いのために、福音の前進・広がりのために大いに役に立ちました。 教会には、大きな養いが有りました。時に、誤った教えでそれを貪ろうとする人がやって来ました。主と共に歩まない彼らは、自ら恵みを得ないといけなかったからです。だから、教会の外から人を迎え入れる者に対して、注意をしなさいと語ります。そして、その心構えとして長老は、特に大切とされる言葉を送ります。「愛する」と言う言葉を委ねたのです。「神さまが愛しておられる者よ。祝された者よ。私もその委ねられた力を信じている」と、その責務を委ねたのです。人の知恵では無く。(それは、教会を惑わすものたちの力です)主と共にある、愛の力に励まされて、教会での奉仕を全うするよう伝えたのです。大きな業も。小さな業も。これからも、ともに喜びに与って欲しい。「真理のために共に働く者になって欲しい」と、願うのです。