タイによる福音書8章18-27節
高松教会 村上有子
山上の説教を終えた後も、イエス様の周りには、群衆が従っており、イエス様の行動に制限がかかっていました。船に乗ることで群衆を解散させようとしたのかもしれません。その隙を狙って、二人の弟子がイエス様のお供をしたいと願ってきました。真の献身の思いを持っていないことを主は御存知だったのでしょう。一人には、「寝る所もない生活ができますか?」といった質問を投げかけます。もう一人は、「無期限の延長」という条件付きで従うと言ってきました。イエス様は、自分流に従おうとする者、この世に未練のある者に対して、厳しくお答えになりました。残っていた群衆もこの会話を聞いていたことでしょう。従おうとするお方が、どのようなお方なのか、知る者は、いなかったのです。
イエス様は、弟子たちと船に乗り込みました。ガリラヤ湖は、比較的に穏やか湖ですが、周りの地形により海側からの風が丘を駆け抜けて、突風が吹き、嵐のように荒れることもありました。弟子たちは、この嵐に遭遇し、死を覚悟し、助けをイエス様に求めました。当のイエス様は、船の艫の方で枕して寝ていました。お疲れだったのでしょうか。イエス様は、起き上がり、風と湖を叱りつけ湖は凪となりました。お従いしている方を知らない、とやっと自覚したことでしょう。
イエス様は「この世界を創造された方」「一人一人を知っておられるお方」その一人一人に襲い掛かる「外からの嵐」また「内に抱える嵐」に対して、唯一の対処法を持っておられる方です。たとえ、嵐にあっても、イエス様が共に乗っておられる船であれば、全ては解決するのです。心の嵐は、イエス様を離れて、自己中心になっているから起こるのです。
嵐を静めるお方は、船に揺られて、熟睡されるお方でもある!私たちも主とともに熟睡できるのです。