高松教会 村上有子
ルカによる福音書1章1~4節
皆さんは、本物と偽物をどう見分けられますか?この聖書が本当に神様からの啓示とどうしてわかりますか?その疑問は聖書に初めて向かう時、必ず通る問いでないでしょうか?
このルカによる福音書は、聖書に含まれている4つの福音書のうち、マタイ、マルコによる福音書とともに共観福音書と言われることがあります。共通の記事が含まれている(視点や書き方などは違っていますが)ためです。しかし、その中でも突出して違う点があります。それが今日の箇所です。小見出しに「献呈の言葉」とあります(「小見出し」は実際に聖書に記されていない言葉ですが、共同訳聖書は内容を理解しやすいように添記している)。このルカによる福音書が書かれた目的は、誰かに「イエス様の福音」「キリスト教」「キリストを信じること」を正確に知ってほしいという願いから書かれています。献呈された「テオフィロさま」という訳は原文では「テオフィロ閣下」と訳していい言葉です。実際にはどういう人物だったのかは不明です。相当な身分の持ち主で、しかもある程度のことは知っている方?ローマの政府当局の高官?影響力のある異邦人?または、「テオフィロ(神に愛された)」という偽名を使って、その人を守ろうとしたのか。とにかく、テオフィロさまに捧げられたこの書は、キリスト信仰が悪意に満ちた中傷や間違った印象を払拭するために、ルカが記した書、「弁明の書」とも言われています。教会が絶えざる迫害の中にあってキリスト信仰を擁護するために。
私たちの環境も、キリスト信仰が誤解されていることがあるかもしれません。私たちが、間違って理解しているかもしれない。そのために、「神に愛されている」者として、このルカによる福音書も、自らに語られていることを自覚しましょう。